


皆さん、おはようございます。明日で1月も終わりですか。
写真は土曜日版競馬ファンの「馬通塾」で書いたタカラテンリュウ。
上が毎日王冠、下2枚が東京新聞杯を勝った時のものです。
鞍上はダンディーな嶋田功騎手(現調教師)です。
馬通塾でも書きましたが、この1983年はグレード制が導入される前の年。
この年まで、この2つのレースは、現在の天皇賞と同じ東京の芝2000㍍で行われていました。
1979年生まれのこの世代は、皐月賞をアズマハンター、ダービーをバンブーアトラス、菊花賞をホリスキーが勝っています。
他にも、アスワン、サルノキング、ハギノカムイオー、ホスピタリティ、ロングヒエンなど、牡馬は役者が揃っていました。
黄金の馬ハギノカムイオーの世代といえば、分かりやすいでしょう。
そんな中にあって、このタカラテンリュウは気性に問題があって、レースでの出遅れはまだ序の口。3戦目の葉牡丹賞(芝1600㍍)では、1頭だけ外ラチへ逸走、48秒3差のドカ負けなんてこともあった。
3歳春の終わり、そんなお騒がせ馬がスタートを決めて、突然2連勝してしまうのだが、これにはとんでもない事実が隠されていたのだった。
秋になって、菊花賞出走をかけて出走した条件戦で心房細動を発症、またしても大差のしんがり負けを喫してしまう。
その要因として判明したのが、春の連勝時のスタートにおける競馬会職員による電気ムチの使用だった。
電気ムチというのは馬の矯正具として使われるものだが、これをスタート直前に「ビリビリッ」とやられれば、そりゃあどんなにスタートの悪い馬だって、ロケットダッシュを決めるというもんだ。
当時、この電気ムチを使用したであろう職員がどのような処分を受けたのかは定かではないが、古馬になって重賞を3勝もしたのだから、不良競走馬の更生にひと役買ったと言えるのかもしれない。
なーんて、無責任なことを言ってはいけませんネ。
いずれにしろ、今ではありえない古き良き?時代の出来事だったように思う。
実はこのタタラテンリュウには、カバリエリエースという一つ年上の姉がいた。
彼女は1981年にクイーンC、オークスTRの2重賞を制覇。
TRを勝った時の末脚に思わずひと目ぼれしてしまったのだな。
彼女は3歳秋のダービー卿CTのレース中に故障を発症。
命を落としてしまった時は本当に悲しかった。
そんなこともあって、弟にはずっと注目していたのだ。
そんな弟の方も、7歳の冬に出走した目黒記念で故障を発症、姉の後を追うように生涯を終えている。
悲しい姉弟のストーリーだけど、どこか微笑ましくもあるのは、競走馬時代のキャラもあるのかと今は思う。
さて、この悲しき姉弟の母にあたるカバリダナーは、オークスTRではあの女傑テスコガビーに先着したこともあった。
今週は京都牝馬ステークスが行なわれるが、1975年にはこの前身である京都牝馬特別を若き日の岡部騎手とのコンビで勝っているのだ。
今日はずいぶんと長くなってしまったが、1980年代前半に活躍した切なくて、ちょっと微笑ましい姉弟がいたことを、少しでも多くの人が知ってくれればと思う。
最近のコメント